R&D

製品開発物語

微多孔質フィルム

出会い

1983年秋、私はいきなりU社の本社役員応接室に通された。その数日前、ある会社が通気性フィルムを初めて採用して、オムツ市場に参入するとの新聞情報に接し、すぐにU社にアプローチした結果、実現したものであった。それまでのオムツは非通気性フィルムを使っていたため、「かぶれ」が問題となっていた。当社が作れば、強度が優れた通気性バックシートが供給できると、手作りのサンプルを示しながら懸命に説明したことを今も覚えている。まさかその出会いが今日まで続くとは思いもしなかった。

OB 金子 新吾さん

長い道程の始まり

当時の製品パンフレット

微多孔質フィルムの開発は当時の技術研究所第6研究室から出たテーマで、スタートは1974年にさかのぼる。無機粉末高充填ポリプロピレン樹脂を延伸すれば、微多孔質シートが容易にできるというシーズからである。チームリーダーの中村 俊一さん以下数名がその実用化研究に入った。その中から生まれた用途が壁紙である。壁紙には幅1mが要求されるので、1978年、当時の第2研究所に市場開拓を兼ねたインフレ法2軸延伸プロセスによるセミコマーシャルプラントを完成させた(商品名「NFシート」)。これは本格設備として世界で最初のものであった。ただ、脱塩ビ壁紙として当初注目を浴びたものの、塩ビのコストパフォーマンスには勝てず、尻すぼみとなった。その後、塩カル系除湿剤のような通気性包材用途が次第に開けたものの、量的には微々たるものであった。当時、チームは元気のある若い者ばかりであったが、さすがに意気が上がらず、1982年、当時の開発推進部から高分子研究所へ差戻しとなった。私は次の用途を探すべく、必死に探索実験を繰り返した。その中に柔軟性が必要とされる用途も上がっていたのである。

再起への執念

U社で少々見得を切ったものの、用途が使い捨て分野だけに、既存のNFプラントでは価格対応力がなく、専用のプロセスを開発する必要があった。そこでまずU社に評価を仰ぐため、取幅40cmのパイロットプラントの建設を急いだ。開発課題は明白で、原料樹脂の変更のほか、押出し方法および2軸延伸装置の改良に注力し、半年余りで高速製膜が可能なプロセスを作り上げた。そしてサンプル供給となったが、思うように試作ができず、品質もコブだらけのロールサンプルしかできない状態が続いた。忘れられないのは、職場旅行に松山へ行った時のこと。サンプル評価結果を聞くため、四国のU社に同日出張していたメンバーが「こんなものを使えというのか」と叱責を受け旅館に戻ってきた。旅先の旅館がにわかな対策ミーティング場に変わったのであった。

生産開始......そして世界標準へ

パイロット段階ではそんな状態であったが、本プラントの建設はその試作データなどを参考にしながら着々と進み、1987年、柔軟性微多孔質フィルムの製造プラントとして完成をみた(商品名「ポーラム」)。オムツと言っても、新生児から大人用まで多くの製品群があり、春と秋にリニーュアルがある。加えて製造には厚み精度、ピンホール欠陥、耳屑回収などの技術課題があり、一息つける間はなかった。NFが小粒ながらも事業継続できているのは、緊密な製造・販売・開発の三位一体化と生産技術部隊の強力な支援体制にあったと思う。その後、市場の拡大により、2号機(1991年)・3号機(1994年)と増設された際にも建設だけでなく、技術改良にも積極的に関わってもらった。そして、20世紀も終わりの頃、長くお世話になったU社の開発センター長から「当フィルムはもはや世界標準で使われており、年10万トンは下らないでしょう」と話された時、初めて深い感慨に浸ったのであった。

振り返って

私にとって、ポーラムの開発は失敗が許されない瀬戸際にあった。しかもパイロット開発段階では人・予算も限られ、途中まで一人で進めるしかなかった。ここまでやってきたのだ、失敗したとしても悔いることはない。まさに「人事を尽くして天命を待つ」という心境で毎日業務していたことを懐かしく思い出す。人生そんな時期があってよい。若い開発の皆さんの奮闘を期待する。

※ポーラムは、1984年に大阪工研協会工業技術賞、1991年に高分子学会工業技術賞を受賞している。

開発当時のメンバー
(左から)岡村 健次さん、中村 俊一さん、
金子 新吾さん

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